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世界一の街と称される" New York "
ひょんな事から、そこにいる自分。今、感じる事、思ふ事。
筆の向くまま、気の向くままに、綴ります。



Friday, April 27, 2012

"誓いを投下する" という事。- Drop Swear-Bombs


先程、ようやくNYに来た大きな目的の一つであるBaruch Collegeの一年間のProgramの合格通知を手に入れた。
これを聞いて、”へ?まだ決まってなかったの??” と思う僕の友人は多くいると思う。なんせ、”なんでNY行くの?” って言われた時に、”5月から一年間の社会人向けのマネジメント学ぶプログラム受けに行くんだよー” と、さも既に決まっている事のように言っていたのだから。
正直日本にいる時はTOEFLの点数が全然足りていなかった。 この合格がどれくらいギリギリかというと、今こちらが金曜日で来週の月曜日からそのクラスの準備コースが始まるくらいギリギリ。間違いなく最後の一人。一日でも遅れていたら多分不合格。そんなレベルのギリギリさ。
そもそも一週間前の今日、TOEFLの点数はまだ手に入れていなかった。Resumeも完成していなかった。Personal Letterだってまだ完成していなかった。もう5月からは無理かも。。って思ってた。
ここまでNYで一日たりとも大きく息を吸った事は無かった気がする。僕はトップ校のMBAを目指しているわけではないので、TOEFLで必要な点数も70-80というレベル。(トップ校は100以上必要)そんな点数を取るのに四苦八苦していて、何やってるんだという絶望感に日々襲われ、もしかして日本にこのまま帰る事になるのか?という焦燥感に襲われ、こんな事も達成できないようじゃ今後何者にもなれないな。。という虚無感に毎日教われ続けていた。
BLOGなんて一切書く気にならなくなっていたし、COLOR NEW YORKの方はそこそこ順調に色々な人に会えていて、”あぁ俺はこういう事してた方が向いてるし、そもそも俺なんかに学生なんて向いてるわけないじゃん。。” という腐った考えの自分が毎日見え隠れしていた。
そしてどうにかこうにか、今日スタート地点に立つ事ができた。
なので、”誓いを投下する”という事について今日は書きたい。
■ 誓いを投下するという事
つまり、これは何かを宣言するという事。僕の場合はNYになんとか来る為に、『学校のプログラムに参加してきます』という ”宣言”を色々な人に向けて投下しまくっていた。

僕はこの方法を頻繁に使う。本当の”今の自分の状況”を知られたら、”へ?冗談言ってるの?” みたいな事を真顔で”●●します!”と宣言してしまう。これには非常にリスクを伴うし、もちろんその宣言を達成できない事もあるし、ビックリする程のプレッシャーに襲われる。今回もマジで胃に穴あいちゃったんじゃないかというような状況になった。

でもこうやって自分の本当の地点よりも遠くに”宣言”という”いし(意志)”をぶん投げて、そこを目指して苦しんで僕はここまで来たように思う。それが一番早く成長する方法だと僕は思ってるし、自分が怠け者な事をしっているので、後ろがない状況を作らないと頑張れないのだ。


■ 後がない状況
今回どれくらい”後がない状況”だったかと言うと、まず一つ、”何も決まっていないのにNYに来てしまっている。”という事がある。これに関しては何人かに止められた。決まってから行けと。そりゃ当然だ。”まだ何も決まってないんですけど、とりあえず行ってくるわ!”なんて人を少なくとも僕は見た事がない。
更に今回の入学に際して、非常にお世話になっている人がいる。非常にお忙しい二人の方に身に余る程の名文が刻まれた推薦状を書いてもらっているし、Orinocoにはこの一番盛り上がって行く時期に抜ける事を許してもらっているし、親父にはお金を借りているし。一番怖かったのはこの人達を裏切る事。これがまた僕の”後のなさ”を激しく増長させている。
更に何人もの友人達に、宣言してしまっている。この人達に顔向けできなくなる事も正直怖かった。
後がない状況を作ると、その状況にビビると言うよりは、それに対するいいわけとか文句が100個くらい出てくる自分にビックリする。
・COLOR NEW YORKが忙しくて
・まぁ9月から入ればいいか
・そもそもなんだよ、TOEFLって。俺はワッフルが好きなんだよ。
等々。
でもすぐにどんな事を言っても自分には後がない事に気づき、”はいはい、頑張ればいいんでしょ、頑張れば”と自分が投下した宣言との追いかけっこを続ける毎日。
■ 自分の英語力
人生を振り返ってみると英語を真剣に勉強したのなんて、高校受験以来。全く自慢できる事ではないですが。。高校時代は毎時間寝ていたし、大学時代は神様みたいな友達と神様みたいな教授に恵まれ、必修であった英語の授業すらろくに出ていなかったし。

とにかく単語力がない。文法もなんとなくしかわかってない。もちろん喋れない。そんな状況だった。そういう意味では僕に取れた70-80という点は、本当に誰でも取れると思う。この点数がどういう点かというと、トップ校ではないアメリカの大学院がミニマムとして引いて来るのが80点という点数。もちろん学部によって違うとは思うが、最低TOEFLで80取って来てねという大学は多くみかける。
■ TOEFL
“人生で最も怖かったものは何ですか?” と言われたら、その候補にTOEFLがあがる。

TOEFLを僕は10回近く受けた。一回2万円近くかかるので20万近くかかった。100点が必要なわけではないのに、こんだけ受けないとダメだったのは少しバカなのかもしれない。今だから言えるがTOEFLとかGMATは絶対に日本でスコアメイクして来るべきだと思う。僕が言える事ではないですが。。

何故ならこちらのテスト環境は非常に厳しい。まず開始時間が8:00から。日本だと確か10:00からとかだっけな。朝早すぎて、リスニングセクションが完全に子守唄状態になる。更に入場管理が異常に厳しく、ポケットの中まで全部見せろと言われ、金属探知機で体をなぞられる。空港みたいな感じに。ポケットティッシュも持ち込み禁止。更にこれは予測でしかないが、夏場の会場は冷房が強すぎて寒すぎる気がする。とにもかくにも厳しい環境が、緊張感を余計にまし、僕は毎回テスト直前に腹を下していた。

これだけ受けたから言えるが、80点まではそれなりのテクニックと語彙力があれば誰でも取れる。しかしTOEFLがiBTに変わってから100点取っている人は、僕にとっては神様、仏様にしか思えなくなっている。来る前は100点も夢じゃないでしょ的に考えていたが、今の僕にはとてもじゃないけど無理。これからも半年に一度くらいTOEFLを受けていこうかと思っているが、100点取るのは多分無理かと思う。
TOEFLの恐ろしいところは5点あげるのが死ぬ程大変な事。多分それは点数があがればあがる程だと思うけど。60くらいまではすぐに取れるようになるものの、そこから本当に点数があがらなかった。ちなみに今だから言えるだが、僕は初めて受けた点数で39点/120点という驚異的な数字を残している。Readingセクションにいたっては4点/30点という奇跡の点数を。(通常解答に全てBを選んでも10点近くは取れると言われている。) この点数を取ったのも別に5年前とか10年前とかではなく、非常に近い過去。その点数しか取れない英語力でそこまで生きて来た事も驚きだが、そこからまぁよく頑張ったわなとも思う。まぁ39点くらいから初めても、点数は取れるようになるということだ。
とにもかくにも、僕にとってTOEFLというのは悪魔みたいな存在でしかなかった。


■ 最後に
何にせよ、約半年前に僕が投下した宣言を、どうにかこうにか掴み取る事ができた。まだスタート地点に立っただけで、間違いなくクラスの中で一番英語力がないのは自分だし、MBAと比べたら全然対した事はないだろうけど、噂では脱落者が必ず出ると言われる程度には厳しいコースみたいなので、今まで以上に苦労すると思うが、頑張って行きたいと思う。
今回よーくわかったが、やっぱり自分は”試験”というものが苦手。学校で真面目に学生をやるという事についても、あまり向いている方ではないのだと思う。でも、もういい大人なんだし、引き続き ”真面目な学生” を続けようと思う。
最後に、NYに来てから勉強が嫌で自暴自棄になってる僕をなだめ、TOEFLでイライラしている僕を華麗にかわし、毎日弁当を作ってくれて、いろいろとアドバイスをしてくれた彼女には感謝してもしきれない。
とにかく今はつかの間の解放感を噛み締め、次に投下する宣言を何にするかを考えようと思う。

Sunday, March 11, 2012

COLOR NEW YORK Project 始動。

本日あの震災から一年を迎えた。
あの震災で感じた事は人それぞれあるだろうし、それに対して取った行動も人それぞれだろう。
そこに正解、不正解はないと思う。


人は悲しい事でも、嬉しい事でも、自分にとっての "大きな出来事" から何かを"受け取り"、そこから何か "Action"を取る。その形に決まりなんてない。


今僕はNYという街にいる。この決断にあの震災が全く影響していないかと言うと嘘になる。
悲劇的な被害を受けた街に住んでいたわけではないけれど、僕は僕なりにあの出来事から、"底知れぬ虚無感" に襲われ  "自分の無力さ" というものを痛感し、ある種のより強い "生命力" を得る為に、この街に来ている。


そして一年経った3.11という日に一つのサイトをオープンさせた。
このブログのタイトルにもある、"COLOR NEW YORK" というサイトだ。


COLOR NEW YORK
http://color-newyork.ch


■ COLOR NEW YORK とは





このサイトはNYで活躍しているクリエーター・アーティストを中心とする様々なジャンルの方を紹介していき、NYという街を "人" を軸に紹介していくというコンセプトだ。
このProjectを元に、日本にいるNYで活動したいと思っている人達の背中を少しでも押すと共に、実際にNYに来た時にスタートダッシュできる情報・人脈を提供していければと考えている。このサイト内だけにとどまらず、リアルなイベント等も含めて、オンライン・オフラインの双方から様々な情報の発信、場の提供をしていくつもりである。

■ サイト名の由来

このサイトではNYで活躍している人達の事を "COLOR" と呼んでいる。そして、サブタイトルとして、 "WHAT IS YOUR COLOR? "という文章を掲げている。

昨年10月、家探しとNYで何をするのかを考える為にこの街に一週間だけ滞在した。
その時に感じた事は、正直な話、 "なんだこの街。。日本の方が全然進んでるじゃないか。"
という想いだった。

地下鉄は汚い、道路は凸凹、空気は東京以上に悪い、インターネットの回線速度も遅い、タクシーの運転は荒い、等等。数え上げればキリがない。


NYはよく世界一の街と評される。
でもインフラを見ると、どう考えても日本の方が上だと思う。
ではなんでこの街がそんなに魅力的なのだろうか。

僕はそれは "人" にあると考えている。
志を持って精力的に活動している人達の "COLOR" が集まって、その "COLOR" が魅力的な "COLOR" を更にこの街に引き寄せて、この街はカラフルな魅力的な街になっているんだろうと。

このサイトでは一つのジャンルに一つの色が割り当てられている。例えばデザイナーは緑、ミュージシャンは青というように。そしてサイトに大きく表示させているGoogle Map上でその人が活動している場所に、その色のPINをどんどん落として行く。

Google Mapで表現されている味気ないマンハッタン島を、人を紹介する事によって、どんどん彩っていこうという考えだ。いつかそれぞれの"COLOR"がこの島を埋め尽くす事を目指して。
そんな想いを込めて、COLOR NEW YORK というサイト名をつけている。

余談だが、このサイトのドメインは.chというスイスのドメインを使っている。
これはこのサイトを一つのメディアにしたいという意味で、チャンネル=ch というドメインを取っている。

■ クリエーターに対する想い

このサイトで紹介していくのは、何かを自らの手でCreateしている、もしくはCreateしていこうとしている人達である。

僕はクリエーターと呼ばれる人達に憧れを持っている。
理由はいろいろとあるのだが、それはまた別の機会に書くとする。

しかし、日本において彼らに対する評価や扱いは総じて低いような気がする。
僕はその環境を少しでも変えていきたい。

全ての商品やサービス、広告は、彼らのデザインや音楽や、映像あってこそのものだし、
エンターテイメント業界における彼らの必要性は計り知れないと思う。

才能を待っていながらも、評価や扱いを懸念して、その道を断念するような事を強いる世の中は決して健康的ではないと思う。

僕は才能を持っている人間はどんどんその世界で活躍すべきだと思うし、社会はもっと"才能"に対して評価すべきだと思う。

クリエーティブな "才能" は人の心をつかむ事が出来、それは一つの"流行"を作り、更には"文化"を作る可能性を秘めている。

僕にはクリエイティブな才能はないが、そんな彼らの"才能"を必要とするプロジェクトをどんどん創り、彼らがもっと目立てる場所をどんどん創出していきたい。

それが僕に出来る唯一の"クリエイティブ"な活動だと思うから。


■ 最後に

このサイトは上記のような想いをもって、3.11という日に始動させる。
一つの形にこだわらず、様々な意見を吸い取って、この活動を発展させていきたいと思う。

ただ軸にある想いは変えない。

誰かにこんな情報が欲しいと要望を受ければ、その情報を集めに行くし、
NYでこんな人を探していると言われれば、その人を探しに行こうと思っている。
もちろんそれが双方にとってメリットのあるものであればだが。

いつの日か、このプロジェクトが日本にいるクリエーターがNYに来たいと思った時の、
初めの一歩になる事を目指して、いろいろとトライ&エラーを繰り返して行こうと思う。

"就職するならとりあえずリクナビへ登録" というように、"NYで活動するならとりあえずCOLOR NEW YORKにコンタクト"というようになる事を目指して。


皆さん、どうか暖かくこの活動を見守って頂ければと思う。

COLOR NEW YORK


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このサイトを作るにあたって、友人が経営するLettersという会社にサイト制作を依頼しました。
非常にわかりにくい抽象的な僕の表現や、いろいろと変わる僕の思考を汲み取って、形にしてくれたデザイナー、エンジニア、そしてHirokiには本当に感謝しています。

そして僕のこのプロジェクトの話を受けて、多くの方にいろいろな人を紹介して頂きました。一人では本当に何もできないという事を痛感し、色々な人の支えに深く感謝しています。

皆さんのご協力が無駄にならないようNYにて精一杯頑張って行きたいと思います。
引き続き何卒よろしくお願い致します。







Sunday, February 26, 2012

真面目に学生をやってみて思う事

お久しぶりです。久々のBlog更新。


僕がNYに来て早くも2ヶ月が経ちました。
この2ヶ月で何が変わったのかを考え始めると、不安に襲われてしまうのでやめます。


さて今回のテーマは"このタイミングで真面目に学生をやってみての気づき"。


まだ本当に参加したいプログラムには参加できていないのですが、
2ヶ月弱、無遅刻、無欠席で一番前の席に座り、人生で初めて"真面目な学生"という
ものをやってみました。


そこで気付いた事を書き記します。




1. ダメな学生 = 目的意識の欠如


今まで僕は多くの日本人と同じように16年間 "学生"として生活していた時代があります。
ただ当時は真面目な学生とは対局にいる、言ってみれば"ダメな学生"の典型でした。


高校時代は、冗談抜きに授業中寝ていた記憶しかありません。
1限から寝始めて、起きたらお昼休みだったこともあります。


廊下で休み時間に先生とすれ違うと "お前が起きてるなんて珍しいな" なんて言われる状況。


そして大学時代。


大学時代は授業なんていうものにはほとんど行っていません。
4年間通して平均 2コマ/週 だけ授業にでるという生活をしていました。
テスト前のみ授業に出て、一番前に座って綺麗なノートを取っている人を見つけては、
コピーさせてもらうという典型的なダメな学生。


学校以外ではいろいろな企業でインターンをしたり、起業を手伝ったり、社会人しかいないような様々なセミナーに行ったりとそれなりに真面目にやっていた気がします。
ただ、"学生" としては圧倒的な不真面目さでした。







当時を振り返ると、とにかく学校というものに対して、自分の目的意識が皆無だったように思います。
もちろん"テストでそれなりの点数を取って卒業する" というGoalはありました。
ただ、それさえ出来れば別になんでもよかったというのが正直なところです。

結局人間は年齢に関係なく目的意識を持たないとモチベーションを持続できない動物です。

そして20歳前後だと勉強に対して明確な目的意識を持てる人は少ないかと思います。
少なくとも僕はそうでした。
真面目に勉強していい成績を取るよりも、授業なんか行かずに要領よくいい成績を取る方が全然意味があると本気で思っていました。

ただ、この年になって色々な国の人の勉強に対する意識を垣間見て、真面目に学生をやってみて、思う事があります。

もっと大学時代に勉強しておけばよかった。

今 "真面目な学生" になれている事の一つの理由として、"明確な目的意識"がある事があげられると思います。



2. 大学は"長い夏休み"ではなく、死ぬ程勉強するところ


大学時代に死ぬ程勉強していた人は、話していて "深み" がある気がします。



僕が大学時代接していた社会人の諸先輩達は、

"大学は人生における夏休みだ"

と言う方が多く、実際僕も社会人になってからそう言っていました。

逆に、
"大学時代死ぬ程勉強したよ"
という人には当時出会う事ができませんでした。

社会人になって"大学時代死ぬ程勉強した" という人に何人かお会いしましたが、
やはりそう言う人の方が上記の人よりも一目置かれているもしくは、
社会人としていいポジションを得ている人が多いように思います。

※もちろん学生時代に遊び狂って、社会人になってから大成功する人も一杯いますが。

生活する為のお金に大きな不安を持つ事なく、一日10時間以上特定の場所にいる事を強要されない生活を1000日以上連続で送れる状況は、社会人になってからは中々得れるものではありません。

社会人になってからも学生をやればその環境を得れるじゃん、という人もいるかと思いますが、
やはり将来の不安や、お金の不安は、当時とは比べ物にならないほど持っていますし、
その分余計な "焦り" を感じてしまっています。

今僕が当時の自分の助言できるとしたら4年間で下記4つの事だけでいいから、
必死で勉強しろと言います。

1. 英語
2. プログラミング
3. 世界の地理・歴史(政治の流れも含む)
4. 音楽、映画、Art等の文化的娯楽に関する深い知識

とくに3,4は異文化で育って来た人や年齢の大きく離れた人と会話する際に非常に役立ちます。



もしこの4つを僕が大学時代必死でやっていたら、僕の人生は少し変わっていたかもしれません。




3. 知識欲は連鎖的に発生する




今回真面目に一つの事を勉強してみて、一番の発見は、
"知識欲は連鎖する"
ということです。


何かを真剣に学び始めると、これも学びたい、これも学びたい、と
学習欲が飛躍的に高まります。


それは時に全く違うジャンルに飛び火したりするのですが、
今まで学問においては経験した事がないことでした。


よくよく考えると、
"ある授業は真面目に受けているのに、ある授業は凄い不真面目"
という学生はあまり見ません。


彼らは、何かを真面目に勉強した瞬間に、他に関する知識欲も高まっているように思います。


学生時代、学校の先生にこんな事を言われた事はないけれど、


何か一教科でいいから自分の一番好きな教科を選び、それだけを一定期間(3ヶ月程)むちゃくちゃ勉強したら、
その後他の教科に対する勉強意欲にも変化が訪れ、全体的に成績がアップする気がします。






以上長々と書きましたが、結局一番言いたい事は、
勉強って意外に楽しいねって事と、社会人になってからでも遅くはないから何か一つ真剣に勉強する時間を創出してみたらどうでしょう、ってことです。


アメリカでは多くの30代、40代の人が大学で再び勉強しています。













Tuesday, January 17, 2012

大切な事は全て"大富豪" が教えてくれた。


iPhone appの不朽の名作 "大富豪" 50連勝記念に、トランプゲームの王道 "大富豪" について書こうと思う。
Richを意味する大富豪ではないのであしからず。
※地域によっては"大貧民"と呼ぶ事もある。

トランプゲームは無数にあるが、その中でずば抜けて好きで、よくやったトランプゲームは大富豪だ。
ブラックジャック・ポーカーもかなりやったがそれについてはまた別の機会に書こうと思う。

それでは本題に戻ろう。
本記事のテーマは"大切な事は全て大富豪が教えてくれた。"である。
僕が大富豪から学んだ生きて行く為の術を記述する。

1. 郷に入っては郷に従え。

大富豪には数々のルールがある。それらはローカルルールと呼ばれている。
このゲームを初めてそのコミュニティーに投下する際、まずルール決めが始まる。
有名なものでは8を出すとそのターンが終わる "8切り" ,  Joker単体なら♠3で勝てる "スペ3返し" , 4枚同じものを出す事によりそれ以降全てのカードの強さが入れ替わる "革命" 等。
稀なものでいうとJackを出せば、そのターンのみ革命が起こるだとか、4を二枚出すと"8切り"と同じ効果だとか、9を出すとそのターンのみカードを出す順序が逆になるだとか、本当にいろいろとある。
このルールが一つ加わる、もしくは減るだけで、戦略は大きく変わる。
どんなルールでも戦える頭を養う必要性がでてくる。

ルールが違う場所では、今までの固定観念を全て捨て、そのルールの中で戦う必要がある。これは現実世界でも一緒だ。必ず"俺はこういうルールでやってたんだ” と声を大にして主張する輩が現れるが、こういう人達は次回から敬遠される。

郷に入っては郷に従え。
そしてどんなルールにでも柔軟に対応し、勝てる自分を作る事が重要。


2.強者の利

"公平性"を叫ぶ人は多いが、世の中というのは公平じゃない。
不条理に満ちあふれている。

大富豪の有名なオプションルールに、大富豪は自分の持つ一番弱いカード2枚を大貧民の一番強いカード2枚と交換できるというものがある。
ほっておいても強い大富豪を更に強く、ただでさえ弱い大貧民を更に弱く。
これが現実だ。

世の中とは常に不条理に満ちていて、一度勝ったものは勝ちやすく、一度負けたものは勝ちにくい、そんなルールの元で成り立っていることが見えてくる。ビジネスの世界を見ても、一度名声を得た人間は、何をやっても金や人、そしてナレッジを集める事ができる。

だがこのルールにはもう一つ言っておくべき重要な事がある。
それが "都落ち" だ。これもローカルルールの一つだが、非常にポピュラーなもの。
大富豪に一度なったら上述の利を得れるが、一度でも大富豪から落ちると、 2番目にあがろうが、3番目にあがろうが、
次のゲームから大貧民になる。
こちらも現実世界と同じ。一度倒産させてしまった社長は、次の会社で社長になるべきでないとされているし、一度悪声が立つと、立て直すのは至難の業。


つまり強者は勝ち続けなくてはならない。
一度の失敗も許されない。そこらへんの平民とは抱えているプレッシャーの大きさが違うのだ。

得れるものはでかいが、抱えるプレッシャーも半端じゃない。
じゃあ富豪でいいじゃないか。なんていう考え方もある。


とにもかくにも、いかに大貧民にならないか。それを常に考えるべきだ。
その後、大富豪を目指すのか、もしくは富豪でいいのかは自分で決めればいい。

世の中に公平性なんてほとんどない事を理解した上で、
自分の強みを取られないポジションを今すぐに見つけるべきだ。


3.仕切り直しの重要性と注意点

大富豪の最も好きなルールの一つに "8切り" がある。
簡単に説明すると、8を出すとそのターンは強制的に終了でき、自分の番から次のターンを始めれるというものだ。

つまり完全に自分が主導権を握る為の仕切り直しのツールがこのゲームには用意されている。
それも2、とかAのような強いカードではなく、8くらいの平均的なカードで。

人生はリセットできないとよく言われているが、細かい単位でのリセット、仕切り直しというのは重要だ。

しかし、その仕切り直しのタイミングの見極めがその後の勝敗に大きく左右する。
自分が8を出すときは7割の確率でその勝負で勝てる事が決まっている。
つまりむやみやたらにこのカードは切らない。

人生に置き換えると、その後の道筋が特に決まっていないにも関わらず、
なんとなく "仕切り直す" 人がいる。
これは非常に危ない。 主導権を取る事はできるが、その主導権を生かす事ができない場合がほとんどだからだ。

仕切り直す事の重要性は非常に大きいが、仕切り直す意味を考え、そこで得た主導権をどう生かし、どう勝ちにいくのかは現実世界でも事前に考えるべき事だろう。

ただ、仕切り直すのに強大な力はいらない。13段階で8くらいの力があれば仕切り直せる。


以上が大富豪から学んだBig Topic3つだ。
お察しのようにこれらの意見はそこまで深堀もされてない陳腐な考察であることをご了承頂きたい。

なんにせよ、50連勝は嬉しいものだ。

※ちゃんと勉強もしております。


Saturday, January 7, 2012

A Green Pepper vs A Small Carrot

どこかが勝っていれば、どこかが負けていて、

どこかが負けていれば、どこが勝っている。

完璧な勝利なんてほとんどない。






ピーマンはこんなにでかいのに、





人参はこんなにも細い。


どちらが優れていようが、劣っていようが、
どちらも焼きそばには欲しい。


Friday, January 6, 2012

Turning Point

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

新年初の投稿は "Turning Point "について。




NYに来て驚かされる事の一つとして、今までの経歴とは全く関連性のないフィールドで学んでいたり活動していたりする人が多いということ。

彼らは、"こうでなきゃダメ、こうあるべき" というある種の固定観念が少なく、
自分の興味・関心を純粋に受け入れ、行動に移すという選択をする。
また往々にして皆、楽しそうである。

そして今自分自身も、彼らのように全く違う環境に身を置き、勉強をし始めている。

そんな中ふと "Turning Point" という言葉が頭をよぎる。
転換地点。今自分は間違いなくそこにいる。

死ぬ間際自分の人生の地図を作り、Google mapを見るかのごとく閲覧し、
検索Boxに "Turning Point" と打ち込みクリックすると、2012年に必ずピンが立つだろう。
(他にも5個くらいはピンが立って欲しいが。)

では"Turning Point"とは何だろうか。

"Turning Point" を多くの人は過去を振り返って後々に"気付く"、あるいは "決める"ような気がする。


"あなたのターニングポイントは何ですか? "

"今になって振り返ると、あの時あの選択をした事が今の僕を作ってますね。"


てな感じだ。
その時点では、それが "Turning Point" だという認識がなかったりする。

しかし、自分の人生を振り返ると、いつも "これをTurning Pointにする" と決めていたように思う。

先決めのTurning Point と、後に気付くTurning Point。
どちらがいいかはわからない。

ただ今年をTurning Pointにすると決めたのだから、2012年は気張って生きていこうと思う。

Friday, December 30, 2011

Dear Orinoco



12月15日、Orinocoというベンチャーから旅立った。
奇しくもその日、OrinocoはPeatix inc.という法人をアメリカに設立する事に成功した。
自分にとっては飛び上がる程嬉しいNewsであると同時に、多少の寂しさを感じた。


そんな日、OrinocoのBlogを見るとなんとTakuさんから自分に対するメッセージが寄稿されている。
タイトルは "一人のバカな若者のお話"




遅くなってしまったが、2011年の締めくくりにAnswer Blogを書こうと思う。




Orinocoに参画したのは2007年8月。
当時はまだ第一弾サービスの名前も決まってなければ、コンテンツもなかった。
週に一回あるBoardメンバーのミーティングに参加させて貰ったのが始まりだ。


毎週その日が楽しみでしょうがなかった事を今でも覚えてる。


当時 "外資系IT企業" で働いており、一般的に見れば順調な道を歩んでいたのだろうか。
僕はあの道を "滑走路のように綺麗に舗装された道" とよく比喩する。
非常に整備された道だったが、どこか僕には味気なかった。
(一瞬でもあの道を歩けた事はもちろん感謝しているが。)


その道を抜けて、Orinocoというベンチャーに仲間に入れてもらうという決断に多くの声を頂いた。
ある人は激怒し、ある人は心配し、ある人はきっと嘲笑っていたかと思う。
"気でも狂ったか。" と。


今だから言うが、ある人の説得に手こずり3日間程眠れない日々が続いた。
それでもどうしてもこの人達の仲間に入りたいという不思議な魅力がOrinocoにはあった。


"遼平があの会社をやめてOrinoco参画の最大の決めてはなんだったの?"
という質問をよく受ける。


それに対して、
"Emiさん宅で、皆で食べたケンタッキーがハチャメチャに旨かったから"
と笑って応える事が多い。


これは冗談なようで、結構本気だったりする。
当時いた会社で、それこそ一人数万円するような会食を上司やお客さんと食べに行ったりもした。
でもやはりどこか味気なかった。


それに比べ、Orinocoの人達と食べるご飯は "ケンタッキー" ですら、最高の味だった。
もはやメンバーは誰も覚えていないだろうが、あの日食べたケンタッキーの味は絶対に忘れない。


そこから早4年。
TakuさんはBlogで
"4年間が苦労と失敗の連続であったことに対して申し訳ない気持ちである。"
と言っているが、とんでもない。


僕はOrinocoに対して上下左右、360度、感謝しかしていない。


確かにうまくいかない事も多かった。
このまま解散なんていうこともあるのかなと思った時期も正直あった。


でも今自分の中にある "仕事の考え方"  だとか、 "仕事の進め方"、だとか、
もっと言うと "人生の価値観" っていうのはOrinocoで形成された気がする。


かの有名なアインシュタインがこう言っている。


Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.


失敗した数だけ、挑戦していた色濃い4年間だったと思う。




もう一つ好きな言葉をSteven Jobsから引用したい。




 Why join the Navy . . . if you can be a pirate?




"海軍に入るくらいなら、海賊になった方がいい" とよく訳されているが、
Orinocoメンバーは "海軍あがりの海賊" だと僕は思う。


ずば抜けた頭の良さと人間味があり、海軍(一流企業)で成功してきた人達だし、
もしそのままいれば、間違いなく超一流の海軍になれた人達だと思う。
それでも海賊になった。


僕はこんな彼らに対して少し嫉妬を感じる。
"海軍" が "海賊" になったら反則でしょと。


Takuさんが言うように僕は根っからの "バカ" だから、どうしたって "海軍" にはなれない。
なりたくてもなれないのだ。


だから僕は一流の "海賊" 、そして一流の "バカ" を目指してこれからNYで精進する。


いつかまた彼らと一緒に
"最高に旨いご飯とお酒を飲みながら、最高にExcitingな航海"
することを夢見ながら。




長々と綴ってしまったが、いつかそんな日が来る事を信じて、
Orinocoの人達に最大の感謝と最高の敬意を抱きながら、NYでの"航海"を開始する。